ごーごごー、ごーちゃんでGo!

前職のトラウマを引きずりながらも畑違いの結婚式場の華やかな舞台を演出するため、古傷の腰痛を抱えた30台後半の主人公仲瀬は、昔の取引先の知人から職人への復職を持ちかけられる。
紹介してもらい入った会社は典型的な家族経営で父親が社長、常務に母親、そして専務は一人息子でマザコン、世間知らずで対人恐怖症、某障害の症状がすべて当てはまるようなその息子の名は豪。
豪に全てを振り回され、廃業まで追いやられた社員の信じられない日々を書き連ねたノンフィクション物語。
繰り返します。これはノンフィクションです。

高山テキスタイル株式会社 -シークレット(前編)-

 株式会社マンサービスクリエーションとは内容証明が効力を発揮し、これまで半年の拘束期間の条例を法の力を以って二週間で自主退職が成立した篤郎は、離職票が発行される間も開けず、高山テキスタイル株式会社の社員として第一日目、これまでは亀岡から山街道を抜けて高槻市内への出勤路を、今は老ノ坂峠を抜けて京都市内への出勤路に変えて車を走らせていた。
 亀岡市の土地柄は、四方に山に囲まれた盆地であり、大阪にも兵庫にも京都市内にもアクセスは出来るがすべては峠道を抜けての事だったため、大型台風や降雪、峠区間での事故があると車通勤には痛手となる。
 そのためもあって余裕を見ての出勤であったが、始業時間の三十分以上前に会社前に到着すると、体験時から利用している急坂の駐車場に車を停めた。
 地下一階の戸を開けた入り口に設置されたタイムカードを押しに入ると、すでに奥で紗張り作業に出てきている瀬田達夫と目が合った。
「おはようございます。今日から社員としてお世話になるのでよろしくお願いします」
 篤郎は元気よく挨拶すると、軽く会釈をした。
「おはよう」
 抑揚のない声で瀬田が返す。この時すでに還暦を迎えていた瀬田は、トラック運送から整備士、タクシー運転手と時代の荒波の中を転々と職を変え、ちょうど運転手が不足していると知人に誘われ入社してから、二十年以上もの勤続年数を重ねていた。誘った知人は遠い昔に辞め、出入りの多いこの会社で、気が付けば最長者となっていた。
 多くの入退社を見てきた瀬田にとって、若い世代の入社に心半分は喜び、もう半分はジェネレーションギャップの落差に辟易してもいた。打てば響くような若者はすでに存在せず、何かと口答えする徳田との口論にもすでに匙を投げていた。それでも会社には新しい風が必要で、年々廃れていく工場内の平均年齢に憂いでいたところへ経験者の篤郎の入社に、少なからずの期待も高まるのであった。
 一旦地下一階を出て横の階段を上がると理想の空間トレース室だ。扉を開けると誰もいない暗い部屋はしんと静まり、昨日の樹脂引き作業のシンナー臭がうっすら残っていた。
 新人の仕事とばかりに篤郎はさっそく遮光カーテンの下がった二つの窓ガラスを開け、すべてのパソコン、プリンタ、複合機の電源を入れて回る。掃除器具のレンタル紗で備え付けているモップで床を磨くと窓を閉め、自分に割り当てられた席、豪の隣に座ってモニタを眺めた。起動からようやくデスクトップ画面が表示され、FTPソフトを立ち上げて韓国のPT社からのデータ着信を確認する。まだPTも出社してきてないのかサーバーが繋がらない。
「おはようございます、あ、今日からですね!」
 いつもは栞里が一番にトレース室に入るのだが、今日は天井の電気が明るく迎えてくれる。中にいる篤郎に気付いて挨拶を交わした。
「ですです、気合い入れて家出たら早くに着き過ぎてしまったんですよ。一応掃除まではしときました」
「おっけーぃ、あとはやるわ」
 四十一歳の栞里は今ではこの部屋一番の年長者となり、生まれは関東出身であるが、両親とともに関西へ移ってきたため関西弁だけど関東のイントネーションと言う、少しきつい印象を受ける篤郎だが、会話の輪に入らない辻崎とは話にならず、席も隣同士もあってすぐに打ち解けることになる。
 栞里がやかんを火にかけて茶っ葉を入れる。しばらくして、やかんがカタカタと蓋を鳴らしだすとガスコンロの火を止めて、シンク内に用意したポットに茶を移し変える一連の作業を篤郎が眺めているところに、
「おはようございます」
 始業の五分前に辻崎が顔を出した。住まいは篤郎、栞里よりも近い会社から山道を下りたすぐのベッドタウンで一人暮らしをしているのだが、時間にきっちりなのか単に寝坊なのか、毎回出勤は五分前なのである。
「そのポットって、いつもどこ持って行ってるんです?」
「絵刷り場の溝内さんのところ。熱いお茶しか飲まないんだって」
 ようやく少し軽くなったやかんをガスコンロに戻しで栞里は答えると、今度はシンク内のポットをよっこらしょっと持ち上げる。身長百五十センチもいかない栞里にとっては重労働である。溝内という名前をどこかで聞いた気がする篤郎は、その姿に手を貸すついでに確かめてみたくなり
「僕が持って行ってきますわ」
 と席を立ってポットを受け取り、トレース室裏口から一段低くなった板床に置かれたサンダルを履いて、暗く埃っぽい資材置き場を抜けて絵刷り場へと向かった。