ごーごごー、ごーちゃんでGo!

前職のトラウマを引きずりながらも畑違いの結婚式場の華やかな舞台を演出するため、古傷の腰痛を抱えた30台後半の主人公仲瀬は、昔の取引先の知人から職人への復職を持ちかけられる。
紹介してもらい入った会社は典型的な家族経営で父親が社長、常務に母親、そして専務は一人息子でマザコン、世間知らずで対人恐怖症、某障害の症状がすべて当てはまるようなその息子の名は豪。
豪に全てを振り回され、廃業まで追いやられた社員の信じられない日々を書き連ねたノンフィクション物語。
繰り返します。これはノンフィクションです。

-ファーストインプレッション(後編)-

 従来のフィルムの焼き付けの場合、フィルムをガラス台に固定して、その上に感光膜を塗ったアルミ枠を生地幅のサイズになるまで一送りで製版したフィルム(反物は基本同じ模様が繰り返すようデザインされている)の正確な距離を動かして焼き付ける必要がある。それに対しインクジェット機は、あらかじめ生地幅までのデータを製版し、それをインクジェット機の制御パソコンに読み込ませると、自動でセットされた枠に全面をプリントしてくれるのだ。フィルムの場合も生地幅全面で出力すれば同様に行えるが、一度に焼き付けする光のサイズ、フィルム並びにインク代のコストがとてもバカにならないのである。
「亀岡でも導入しようかどうしようか悩んだ末、ぼかしの調整や修正なんかの部分焼きには不向きだって話でインクジェットは入れなかったんですよ。それに高額だったでしょ?」
「インクジェットでも部分焼きは出来ますよ。でも、面倒なので焼き直したほうが早いですね。一台二千万円程でしたよ。」
 インクジェット機に驚いている篤郎に豪は得意顔で説明するのだ、特に金額のところはより強調し。
「やっぱりいい仕事するにはいい機械をいれないとだめですよ、あと、いい人を」
 熱烈なラブコールだろうなとは気付いたが、そこは聞こえない振りで無言で作業を続ける徳田を見続けた。徳田は篤郎と同じ亀岡市から通勤している、この会社で一番新人で三十一歳の最年少だ。しかし新人らしからぬ太々しい態度で、見学に来ている篤郎に挨拶どころか目も合わせない。
 だれかれであれ、会社への訪問者に挨拶一つ出来ない社風は「製作所」と同様、職人気質の会社ではそういうものなのかと、篤郎は思った。
 地下一階の作業場から出ると、工場と家屋の間に設置された古びた急な階段を上り地上一階の渡り廊下にでる。さらに階段は屋上へと続いていた。渡り廊下からは家屋の屋根が目の前にあり、長い年月を越してきたことが容易に判断できるほどに瓦が傷んでおり、同じく工場の壁にもいたるところに補修跡や増設による継ぎ接ぎが見え、長く続けてきた歴史が気持ちを引き締めるのである。
 渡り廊下からすぐ横にある扉を開けるとそこは樹脂場で、有機溶剤の懐かしいシンナー臭がツンと鼻に付いた。部屋の角に大きな奈落があるとよく見ると、地下一階から荷物専用のエレベータが繋がっており、枠の上げ下ろしをこれで行うようだった。「製作所」ではすべてがワンフロアで行われた作業が、ここでは土地面積に配慮された造りとなっており、導線は短いが手間は掛かりそうだなと感じた。
 ここでも篤郎を驚かせたのは、「製作所」では手で一枚一枚枠に樹脂を塗っていたのを、枠を差し込むだけで自動で樹脂を塗る大層な機械が設置されていた。大きい枠を腰が痛いと訴えながら樹脂引きをしていた「製作所」の元従業員を思い出す。その元従業員は篤郎が入社して三年後、鬱病に掛かり週末の休み明けに無断で欠勤し、その数日後沖縄のホテルで自殺した。この機械があればまた違ったかもかも知れないなどと、今はまだ作動せずひっそり樹脂場の片隅に設置された樹脂引き機に思いを馳せた。
 久しぶりに纏ったシンナー臭を払いつつ渡り廊下に戻ると、そのすぐ先の扉を豪が開けて中に促した。
 「仲瀬さん、ここがうちの心臓部です。どうぞ入って下さい」
 心臓部という響きに既視感を感じる篤郎は、すぐに高山のトレース職人第一主義を思い起こした。苦い思い出がすっと心に影を落とすが、部屋に足を踏み入れた瞬間雲散霧消した。

高山テキスタイル株式会社編 -ファーストインプレッション(前編)-

 サービス業で嬉しいと感じる瞬間は、世間が出勤日の平日にゆっくりと休みが取れることで、しかし家族や友人と予定を合わせるにはあまりに悲しい特典でもある。電話で水曜日の午後に会社訪問の約束をした篤郎にとっては嬉しいと平日の休みとなり、聞いた住所を訪ねて愛車のスズキのアルトワークスを走らせていた。
 すでに年式の古くなった車両だが、軽自動車のマニュアルミッション仕様の新車はこの当時どのメーカーからも出ておらず、オートマチック車への乗り換えを拒否し、ガタついた愛車の中でこれから訪ねる新しい会社へと胸を躍らせている。しかし道路地図を見ながら進むも会社に辿り着けず、山の中を進んでは道を間違えたと引き返す。
 道に迷ったと電話するのを恥ずかしく感じたが、時間に遅れてはもっと社会人として恥ずべき事だと、とうとう諦めて携帯電話を取り出した。
 電話をするとすぐに豪が替わり、その引き返している山道を登るように指示をした。民家が途切れ道路の両側に竹林が広がりしばらく進むと、鬱蒼と道路に撓垂れる竹林の向こう側にまた民家が見えてきた。入り口に会社の看板があるとの事だったので減速して進むと、看板を見つけるまでもなく駐車場入り口に豪と横には豪の母親靖子が並んで出迎えていた。
 高山テキスタイル株式会社は山の中腹に平屋の家屋に並べて建てられた二階建ての工場だった。二階建てと言っても、ノンスリップ傾斜加工が施された駐車場が家屋より下まで下がり、地下一階地上一階の構造である。
 今日は車の出入りがないので駐車場内の玄関前に止めてくれたらいいと勧めるられるものの、サイドブレーキの利きの弱くなったアルトワークスを坂道駐車するのに躊躇うが、無下に断って道路脇に路上駐車するのも気が引けたので、ここは好意に甘んじきつくサイドブレーキを引くことでなんとか場を収めた。
「わざわざ来ていただいて、今日はよろしくお願いしますね。それじゃ、私はおほほほほ」
 靖子は丁寧な物腰で会釈すると、口に手を当て漫画のような笑い声と共に玄関の中に消えて行った。
「じゃあ仲瀬さん、まずは会社の中を案内しましょうか」
 豪は母親を見送ると、仲瀬をエスコートして斜面をゆっくり下り始めた。斜面の駐車場にはフォルクスワーゲン社のゴルフと、ベンツのCクラスが停めてあり、かつての好景気を物語っていた。斜面を下りきったところの平面駐車場には、四トントラックと、二トントラックが停められており、車体に社名がプリントされてはいるものの、年季の入った傷や汚れが無数にあった。
「亀岡の方で、叔父の会社で働いたはったんですってね。大賀さんから聞きましたよ」
「ええ、いろいろあって辞めたんですけど、またこうして同じ型屋に戻ってくるとは思ってませんでした」
 談笑を交えながら地下一階の紗張り場から焼き付け場を見学すると、「製作所」で導入しようかと話題になっていたインクジェット機を二基、焼き付け職人の徳田太一が古いデカラジカセから音楽をガンガン鳴らしながら操作していた。

-アポイント(後編)-

 電話越しの相手に首をぶんぶん立てに振り喜びを表現している豪の、並びに座る柿谷優紀子がモニタから目を離し、右隣で豪の素振りを見ていた安浦朋弥に目を細め囁いた。
「新しい人みたいやな」
「みたいね、いい人来てくれるといいね」
 優紀子の猜疑心を含んだ囁きに、朋弥は心から未だ見ぬトレース職人に希望を抱いていた。
 高山テキスタイル株式会社も同名製作所と同じく、創業時はフィルムに直接筆を走らせてトレースしていたのを、時代の流れに合せてコンピュータを導入したトレース作業に切り替えていた。切り替えの導入期はコンピュータの知識やトレースの技術に長けた豪の知人吉富知加子と、靖子の弟が運営するやはり同業ですでにコンピュータを導入している梅津テキスタイル製作所で訓練を受けた豪の二人三脚によって采配が振られていたが、知加子は後に諸事情で退職したためトレース技術は素人に等しく、指示は出来ても実行の出来ない状態で停滞感が漂っていた。
 唯一コンピュータに手練れた優紀子がトレース室の事実上の頭であったが、三児の母もあって、態度が、お世辞にもスタイルがいいとは言えないほどの体格に表れて大きかった。それが豪には鼻につき、トレース室に在籍する女性三名に対し、自分を含めた男性が、阿部以上に無関心の辻崎史宏なので数の内に入らない。自分の立場を逆転させる新風を切望するのであった。
「新しい方が来られるんですか?」
 受話器を下ろした豪に、朋弥が子供のような眼差しで訴える。
「一回見学に来るみたいや」豪も満更でもない。
「楽しみですね!」


 篤朗が二つ折りの携帯電話を畳みガッツポーズでカウンターを出たところに、パンツスーツ姿で廊下を歩いて来たバンケット所属の国峰夏帆が気付いた。
「仲瀬さーん、こんなところでサボってたんですかぁ? 事務所に居ないからコーヒーでも飲みに行ってると思ったらビンゴでしたね! 何かいいことあったんですか?」
 スラッと背の高い夏帆は、二十歳という若さで堂々と披露宴のエスコートから花嫁の介添えまでこなすスーパーウーマンだと篤朗も認めていた。自分で指揮するくらいなら、夏帆の下に付き指図に従っているほうがよほど気が楽とさえ思っており、篤朗の危なっかしいエスコートの袖裏でいつも夏帆に助けてもらっているので心許していた。先ほどの電話の話も隠すことなく、
「うーん、まだ分からんけど、転職するかも知れんわ」
「えーっ!? 本当ですかぁ?」
「昔やってた仕事、またやらへんかってお誘い受けたんやわ。厚遇扱いでって話みたいやけど」
「いいなぁ。ここより給料もいいんやろね?」
「給料もやけど子供いるとやっぱり休日に休み欲しいのんもあるからな」
「あーですよね! でもサイゾウ(社長のあだ名)辞めさせてくれるかな?」
「本決まりって話じゃないから、またそん時考えるわ。事務所戻ろっか」
「そうやん、仲瀬さん呼びにきたんやった!」
 そう、まだ決まった話じゃない。以前のように同じ轍を踏むわけにはいかない年齢なので、慎重にならざるを得ない。それでもコンピュータの仕事は、篤朗にとっては燻った気持ちを再燃させる魔力とも言える誘惑を掻き立てるのだ。