ごーごごー、ごーちゃんでGo!

前職のトラウマを引きずりながらも畑違いの結婚式場の華やかな舞台を演出するため、古傷の腰痛を抱えた30台後半の主人公仲瀬は、昔の取引先の知人から職人への復職を持ちかけられる。
紹介してもらい入った会社は典型的な家族経営で父親が社長、常務に母親、そして専務は一人息子でマザコン、世間知らずで対人恐怖症、某障害の症状がすべて当てはまるようなその息子の名は豪。
豪に全てを振り回され、廃業まで追いやられた社員の信じられない日々を書き連ねたノンフィクション物語。
繰り返します。これはノンフィクションです。

アドバイス -(後編)-

 毒突いた優紀子は早々に食べ終わった弁当を鞄にしまうと、手でデスクを押し足で漕ぎながら篤郎の元へと椅子のキャスターを滑らせた。
「仲瀬さんが今行ってはる仕事場って結婚式場なんでしょ? そっちは続けられそうにないの?」
 優紀子は四十三歳でトレース室では豪を除く最年長であり、パート歴も五年の実績で、これまでに名を挙げたレジェンドの最後の一人であった。戦歴と言っても業務に貢献するなどとは程遠く、昼食が終わればトレース室の電気を消して床にマットを敷いて昼寝時間を設ける、三時のおやつ時間には仕事中であっても必ず割くなど、嘘のような本当の話がつい最近までも継承されていた。
 過去には豪一人に対し女性社員一人とパート四人という状況で、しかもその女性社員がトレースのコンピュータ化への転換期に采配を振ったこともあり、女性天下が続いていた。優秀な女性社員が去った後、後ろ盾を失ったパート軍勢は失速し、人の入れ替わりが繰り返され今の形となった。
 豪と優紀子には敵対心が残ったが、職場を求める優紀子と、経験を持った人員を求める豪との利害関係が今日まで紙一重で続いてきたのだ。
「楽しい職場ではあるんやけど、定年まで体を動かし続けるにはちょっと厳しい職場かなって。事故で腰を痛めてるのもあって、どんでんとか毎回悲鳴上げんならんしね」
「どんでんって懐かしいわー。よく覚えてないけどしんどかった気がする」
 栞里も弁当を食べ終わると、部屋の端に添えつけられたガス台付きのシンクに運び水洗いを始めた。
 栞里は学生時代を高槻市で過ごし、アルバイトで篤郎が勤める結婚式場ル・ソイルで働いていたのだ。世間は狭いとは言ったものである。
「学生やったから体力があったんとちゃいます? この歳でやったら体中ボロボロなりますわ」
「だねー」
 結婚式場の話で花開きそうにそうになるところに優紀子が被せる。
「ここも豪ちゃん相手だとしんどいよー、あのお母ちゃん付きだしね。お父ちゃんの社長も頭おかしいし」
「一家全員ですやん!」
 篤郎が思わず笑った。
「でもここの社長って亀岡の社長の兄弟で一番末っ子なんでしょ。あっちの社長に比べたら全然まともやと思いますよ。向こうは最後は告発状まで出す羽目になっての退職やったからね」
「私らもあっちの噂はいろいろ聞いてたけど、相当兄弟同士仲悪いみたいやね。あっちはよく人変わったりしなかった?」
「パートさんとかアルバイトじゃなく社員だけやったからね。辞める人もいてなかったし、求人も出したことないんちゃうかなー。来る人って大抵一回辞めての出戻りとかやったし」
「そうなんや。こっちは出入り多いよ。ほぼ毎週求人広告出してるし。謳い文句は嘘ばっかりでケチなばばぁが全権握ってるからよう考えたほうがいいよ」
 五年の年月で多くのパートの栄枯盛衰を見てきた優紀子にとって、甘い環境と甘い言葉で浮足立ってる篤郎には苛立ちがあった。その苛立ちは自分の立場が危うくなる焦燥感から来ていた。
 篤郎がもし転職して入社すると、トレース室は常時五名、隔日の朋弥合わせると六名になる。仕事量的には過剰人員になることが目に見えていた。豪が優紀子を嫌っていることは周知であるが、これまではパソコンの知識で頼られてもいた。それが篤郎の登場で優紀子の浅い知識など塵と飛んでしまった。
 表向きは的確な忠告であったが、本音は自身の保身である。優紀子はこの会社にしがみ付く理由もあった。


 夕刻五時に篤郎は会社を出た。ひと段落つけてちょうどきりのいい時間であったのと、時間給をもらってる負い目もあり定時の一時間前に上がることにした。
 駐車場から車を出し、国道九号線に出る交差点の信号待ちで給料袋の封を開けた。中から明細表と現金が入っており、時間給を見ると千四百五十円と記されていた。この金額は本職の給料を遥かに凌ぎ、靖子の言った一日でも早くを急がねばと、気を焦らせた。

高山テキスタイル株式会社編 -アドバイス(前編)-

 三月に入り、篤朗が初めて来てからもう何度も足を運んだトレース室は、すっかり居心地の良い気心の知れた仲間との場となっていた。仕事の流れも大方把握し、この日も『もはや化石』のパソコンで外注から送られてきたデータを検修していた。
 フォトショップのバージョンも篤朗が仕入れたCS3の最新版を導入し、パターン機能が使えない不便さを補って余りある処理速度を手に入れていた。ファイル容量の大きなTIFファイルも新バージョンでは制限なく開くことが出来、これまで優紀子が担っていたパソコンのメンテナンスもどきはすべて排除され、優紀子だけが自分のパソコン環境の牙城を死守していた。
「こんにちは、ちょっとお邪魔しますよ」
 トレース室のドアを開けた靖子が、篤郎の元にいそいそと入って来ると、
「はい、これ先月のお給金」
 篤郎に社名の入った白封筒を手渡した。
「え? 僕給料をもらえるんですか? 体験で来させてもらっていただけなんで、仕事らしい仕事してないですよ」
 拒否するともなく受け取るが、まだ信じられないでいた篤郎に、
「いつもちゃんと手伝ってもらってるんだから、少ないですけどこれくらいは出しますよ」
 靖子は笑って言うと
「あとは一日でも早く来て欲しいわね、豪ちゃんでは頼りないでしょ、ここも」
「いえいえ、いつも僕のほうが教わってる状態ですよ。でも、なるべく早く今の仕事が辞めれるように話はしてきます」
「ぜひそうして頂戴。仲瀬さんを頼りにしてますよ」
 そっと頭を下げると、いつものおほほほほと定番の笑い方で部屋を出て行った。
「仲瀬さん、無理ないスケジュールで決めてもらったらいいですからね」
 横の豪が補足した。
 給料袋を受け取ってから驚きの連続で何から対処していいのか少々戸惑いながら返事をすると、篤郎は先ほどの靖子のセリフを頭の中で反芻した。息子をみんなの前で豪ちゃんと呼び、それになんら恥じ入るわけでもなく、自然に発していた。普段から会社でああ呼ばれているのだろうかと。
 また、手にした給料袋の中身も気にはなったが、みんなの手前鞄の中にしまい込んだ。


 昼食休み、この頃は弁当持参で夕方まで残っていたので、トレース室のみんなと昼食をとっていた。豪は隣の母屋へ戻るため、トレース室は社員とパートだけが残される。
「仲瀬さん、びっくりしたでしょ、あのばばぁ。豪ちゃんって四十後半のおっさんにキモいやろ」
 栞里は箸を動かしながら先ほどのホームドラマについて語ると、
「豪ちゃんは豪ちゃんで、お母ちゃんって呼びよるんやで」
 優紀子が参加する。辻崎は変わらず一人昼食のパンを齧りながらインタネットに勤しんでいる。
 トレース室で唯一の社員である辻崎は、同業種からの転職してきた三十九歳の独身で、前職で身に着けた焼き付け作業の応募で入社するが、トレース室がパートの女性ばかりに一人豪がいるスナック状態と周りから揶揄されていたため、急遽トレース室に転配され今日にいたる訳だが、焼き付け作業の環境は一人で一日を過ごすことが多く、その影響があってか生来の性格なのか黙々と作業をこなすため、誰よりも精度の高い仕上がりだった。また寡黙でありながら生きる辞書とも呼ばれており、年を取った人が連発する「あれ、ほらあれよあれ」のあれを聞くと大抵回答を返してくれるのである。

-イリーガルコピー(後編)-

 篤朗は自分のアカウントを使って安くアップグレードが出来ることを伝えると、豪はそれならばと前向きに検討を始めた。機材は買い揃えるのに対し、無料で手に入るものには金を出さないようだ。
 篤朗は早速インターネットでアドビのサポートセンターに繋ぐと、アップグレードの手続きをしようとするが、アカウント情報が思い出せない。電話によるコールセンターも用意されていたので、会社の電話を借りて電話すること数分、長い順番待ちの末回答されたのは認証できませんの一点張り。当初登録したメールアドレスが必須との事だが、プロバイダを乗り換えて数年、すっかりアカウント管理を怠ったため、メールアドレスの変更手続きを忘れていた。住所や名前まで確認できても、最期のメールアドレスが答えられないと再発行出来ないというのだ。
 フォトショップとイラストレータ、一から揃えると十数万円の資産がたった一つのメールアドレスで消滅したのだ。
「だめでした。期待させてすみません。それより、今トレースの検収とかで困ってることとかないですか? せっかく来たのでなにか役立てることが出来たらいいんですけど・・・・・・」
「ティフファイル開けるソフトってあります?」
 待ってましたとばかりに優紀子が椅子を回転させて篤朗に向き合う。向き合うといっても間に栞里を挟んでいるので足を蹴って椅子ごとデスクから離して回転させたのである。
 TIFファイルとは高解像度の画像データを保存するファイル形式の一つであり、一般のフリーソフトウエアのビューワや、使っているフォトショップでも十分に開くはずである。
「豪さん前に言うてはったでしょ。直接TIFファイルが開けられたら便利やのにって。豪さん?」
「え? 俺? え、なんやったかいな」
 決してコソコソ話をしていたわけではなく、席の離れた優紀子の声はだみ声だがよく通り、聞こえなかった振りかなと思ったが本気で聞こえていなかったようだ。優紀子がもう一度説明すると、
「そうそう、仲瀬さん、製版したデータをいじる事が出来ないんですけど、なんか方法はあるんですかね?」
 豪は自分のパソコンを操作すると、問題のTIFファイルをクリックする。フォトショップが起動し、ファイルを読み込もうとするも、ファイルの容量が大きすぎるとエラーメッセ字が表示され、強制終了するまでの一部始終を確認する。
「そのデータの解像度っていくつですか?」
「720DPIなんでかなりでかいです」
「あー、フォトショップって言っても古いバージョンですからね、フリーの画像処理ソフトを探してみましょうか? 」
「ぜひお願いします」
 篤郎は何しに会社に来てるんだろうという疑問が湧かなくもなかったが、目の前にある問題は今後にも影響すると判断し、インターネットで該当するフリーウェアを検索した。すぐに見つかり自分のパソコンに試しにインストールする。
 社内LANで繋がれたパソコン同士で問題のデータを受け取ると、数十秒後にファイルの画像が表示された。
「おお!」
 篤郎のパソコン前まで椅子を移動してきた優紀子と後ろに立った豪、そして横から栞里が同時に声を上げた。
 フォトショップでトレースしたデータの解像度は、製版ソフトでインクジェット用に加工される際に720解像度に変換されてファイル容量が大きくなるため、加工後のファイルを編集しようとしても古いフォトショップでは開くことが出来ずにいた。そのため、小さな編集一つを前工程かやり直すという手間を取っていたのだが、篤郎の見つけてきたフリーウェアによって解決した。
 その後、待機状態が昼休憩にまで続いたため、
「またもう少し忙しい時に出直します」
 無駄に時間を過ごしても双方気を使い続けることなるだけと判断し、早々に切り上げることにした。
「いやほんと、今日みたいなんは珍しいんですよ。いつもはもう少し忙しいんですけどね」
「でもこの業界、二月から四月くらいまでちょっと暇になりません? 向こうもそうでしたし」
 無駄足にさせたことに気を遣う豪に、篤郎もフォローを入れる。
「また密に連絡させていただきますので、次来た時にはもっと役立てられるように頑張りますね。あと、今度フォトショップの最新版用意しますね。ちょっと見繕ってみます」
「はい、是非お願いしますわ」
 篤郎はトレース室のみんなに会釈をすると、昼食前の会社を後にした。