体験中はトレースの仕事に集中し、他の作業場へ行くことのなかった篤郎は、工場見学よろしく目を忙しく動かしながら絵刷り場に入ると、そこは広い通路状の空間で、右手側の手前の絵刷り台でスケージを引く木原大介と目が合った。 「おはようございます」 「ん、おはよう」 篤郎が挨拶するが、今は手元の方が大事な... 続きをみる
ごーごごー、ごーちゃんでGo!の新着ブログ記事
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株式会社マンサービスクリエーションとは内容証明が効力を発揮し、これまで半年の拘束期間の条例を法の力を以って二週間で自主退職が成立した篤郎は、離職票が発行される間も開けず、高山テキスタイル株式会社の社員として第一日目、これまでは亀岡から山街道を抜けて高槻市内への出勤路を、今は老ノ坂峠を抜けて京都市... 続きをみる
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「このアスクルの請求書ですけど、この文房具類あなたの個人の注文って言わはるじゃない」 優紀子が部屋に入るやいなや、肘付回転いすに深く座った高山靖子と、その傍らに豪が立ったまま腕を組んで待ち構えていた。 「それは辻崎さんに会社の備品と一緒に注文してもらったもので、請求書が来た時にお金を払うつもりで... 続きをみる
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篤郎が退職で一悶着を起こしている頃、高山テキスタイル株式会社でも大きな動きがあった。 朝、FTP経由で届いた韓国からのデータにトレース室は活気付き、昼食前にようやく落ち着きを取り戻し豪がスッと席を立って部屋を出ていくと、柿谷優紀子は最小化でタスクバーにしまっていたブラウザをモニタ上に戻した。画... 続きをみる
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翌日、昼出勤の篤朗が結婚式場ル・ソイルに出勤すると、事務所で吉峰がやはり胡乱気ながらわずかに渋面を示し手待ち構えていた。 「仲瀬ぇー、お前俺を殺す気かぁー。昨日の宴席で延々と西原さんから嫌味言われたんやぞ」 「白まで切らさせてすみませんでした。あの後揉めませんでしたか?」 ミーティングの前日に... 続きをみる
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「知人から技術を持った職人を必要としている会社を紹介され、無理を承知で出来ましたら早期退職をお願いしたいのですが・・・・・・」 株式会社マンサービスクリエーションの本社事務所、と言っても京都駅前の某複合商業施設の最上階、六畳面積も無い部屋をさらにパーティションで隔てた二畳空間で、篤朗は西原と向か... 続きをみる
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毒突いた優紀子は早々に食べ終わった弁当を鞄にしまうと、手でデスクを押し足で漕ぎながら篤郎の元へと椅子のキャスターを滑らせた。 「仲瀬さんが今行ってはる仕事場って結婚式場なんでしょ? そっちは続けられそうにないの?」 優紀子は四十三歳でトレース室では豪を除く最年長であり、パート歴も五年の実績で、... 続きをみる
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三月に入り、篤朗が初めて来てからもう何度も足を運んだトレース室は、すっかり居心地の良い気心の知れた仲間との場となっていた。仕事の流れも大方把握し、この日も『もはや化石』のパソコンで外注から送られてきたデータを検修していた。 フォトショップのバージョンも篤朗が仕入れたCS3の最新版を導入し、パタ... 続きをみる
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篤朗は自分のアカウントを使って安くアップグレードが出来ることを伝えると、豪はそれならばと前向きに検討を始めた。機材は買い揃えるのに対し、無料で手に入るものには金を出さないようだ。 篤朗は早速インターネットでアドビのサポートセンターに繋ぐと、アップグレードの手続きをしようとするが、アカウント情報... 続きをみる
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「おはようございます」 二月某日の木曜日、本職のローテーションで休みを取った篤朗は、朝十時前にトレース室に出勤した。 会社の就業時間は朝九時から夕方六時までだが、休日の朝はゆっくり体を休めてからにした方がいいと孝子の忠告に従い、少し遅れての出勤でアルバイトに就いた。 「おはよう」 トレース室... 続きをみる
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世間を学ぶことなく社長の息子という庇護の下、ちやほやされて数十年を過ごした二世の活躍は薄く、自身で築き上げた歴史がない。父親や社員の積み上げた実績を専務取締である自分の評価とばかりに雄弁を並べる様に、優紀子は呆れ顔で朋弥に眼で語る。 「また始まったよ」 新しく会社訪問に訪れた人へのテンプレート... 続きをみる
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白を基調とした壁紙がトレース室全体を明るく照らし、エル字に並べたデスクには六台のパソコン、部屋の入り口にはサーバー用のパソコンとその横に独立したパソコンが一台、計8台が備えられおり、奥には大判用ドラムスキャナとプリンター、そしてレーザー複合機を構えていた。 なにもかもが「製作所」の規模を超え、... 続きをみる
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従来のフィルムの焼き付けの場合、フィルムをガラス台に固定して、その上に感光膜を塗ったアルミ枠を生地幅のサイズになるまで一送りで製版したフィルム(反物は基本同じ模様が繰り返すようデザインされている)の正確な距離を動かして焼き付ける必要がある。それに対しインクジェット機は、あらかじめ生地幅までのデー... 続きをみる
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高山テキスタイル株式会社編 -ファーストインプレッション(前編)-
サービス業で嬉しいと感じる瞬間は、世間が出勤日の平日にゆっくりと休みが取れることで、しかし家族や友人と予定を合わせるにはあまりに悲しい特典でもある。電話で水曜日の午後に会社訪問の約束をした篤郎にとっては嬉しいと平日の休みとなり、聞いた住所を訪ねて愛車のスズキのアルトワークスを走らせていた。 す... 続きをみる
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電話越しの相手に首をぶんぶん立てに振り喜びを表現している豪の、並びに座る柿谷優紀子がモニタから目を離し、右隣で豪の素振りを見ていた安浦朋弥に目を細め囁いた。 「新しい人みたいやな」 「みたいね、いい人来てくれるといいね」 優紀子の猜疑心を含んだ囁きに、朋弥は心から未だ見ぬトレース職人に希望を抱... 続きをみる
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「あ、もしもし仲瀬と申します。豪さんは居られますでしょうか?」 平成二十年二月某日前夜、関西地区は大雪に見舞われ、荘厳なチャペル・コンフィードと大階段を備えた結婚式場ル・ソイルも一面を銀世界に変えていた。この時期は結婚式は少なく、会場費が安く設定されるため発表会だの懇親会だのの予約が多く入る。煌... 続きをみる
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いつか辞めるだろう、またはクビになるかもしれない、その時のためにと各署の所在地は事前に覚えておいた。それが突如、今日、今から一時間も経っていない状況で篤郎は車を走らせていた。先ほどまでの動悸はようやく治まり、悔し涙の痕が目元の肌を引っ張っていた。 自分から辞めたのなら納得も行く、しかし前職同様... 続きをみる
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一夜明けて、篤朗はいつもと同じように出勤して挨拶して回るが皆がよそよそしい。朝の仕事内容の確認に事務所に顔を出すと、いつもは明るく挨拶する悦子までが避けたような態度を示した。 「斎藤さん、おはようございます!」 「あ、あっちゃん、おはようさん」 「なんかあったんですか? みんな暗くないですか?」... 続きをみる
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篤郎が高山テキスタイル製作所に勤めて五年目の夏、思い描いていた未来は訪れることなく、日々ストレスと気怠さが鬱積するばかりで、トラック運送の運転にも影響が表れていた。 亀岡市から取引先の大阪の泉佐野にある豊橋染工場までの道のりに高速道路を利用するが、関西で最も事故の多発な阪神高速の往復路途中で重... 続きをみる
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三十二歳という年齢は就職活動をするに当たって微妙な年齢で、多くの企業の年齢条件が三十五歳までと区切られている。さらにコンピュータ系専門学校卒の篤朗は特に何のスキルも無く、十年勤務で培ったのは接客応対と商品知識の記憶術、本社が舞鶴市内にあることからか舞鶴弁を地元民でも間違うほどにマスターした事だけ... 続きをみる
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一年前の五月、勤めていた地元の北倉石油株会社の整備工場で暴力事件を起こし、しかし事件の経緯に落ち度はあれ情状酌量の余地は在りと会社側は最大限の考慮を図っての自主退社扱い、満額退職金という条件で篤朗は十年務めた会社を退社した。 二児の幼児と三十年の住宅ローンを抱えて今年で三十二歳、定年まで勤める... 続きをみる
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