ごーごごー、ごーちゃんでGo!

前職のトラウマを引きずりながらも畑違いの結婚式場の華やかな舞台を演出するため、古傷の腰痛を抱えた30台後半の主人公仲瀬は、昔の取引先の知人から職人への復職を持ちかけられる。
紹介してもらい入った会社は典型的な家族経営で父親が社長、常務に母親、そして専務は一人息子でマザコン、世間知らずで対人恐怖症、某障害の症状がすべて当てはまるようなその息子の名は豪。
豪に全てを振り回され、廃業まで追いやられた社員の信じられない日々を書き連ねたノンフィクション物語。
繰り返します。これはノンフィクションです。

-面接-(後編)

「あんたそんなちいさい子抱えてんのにいつまでもアルバイトでは、父親としてもっとしっかりせんといかんぞ」
「はぁ、そうですね」
「他行くとこまだ見つからんのやったら、どや、ウチで働かんか?」
「え? それは正社員としてですか?」
「当たり前や! あんたがうち来てやってくれるっちゅうのやったら待遇面もしっかりやったる」
「それはありがとうございます。ただ、今面接結果待ちのところもあるのと、父とも相談してみようと思いますので返事は後日でもいいですか?」
 篤郎はどこの面接も受けてなかったが、行く所が無くここしかないと思われると弱みを握られるようなの気持ちになり、適当に返事を先延ばしにしたのだ。
「かまへん、あんたの悪いようにはせんさかえ、よお考えて返事してくれ」
「ありがとうございます」
 篤郎は軽く頭を下げると社長室を出てトレース室に戻ると、鳥飼がからかうように
「どうでした? 社員になれって?」
と聞いてくる。鳥養は十八歳から親の元でトレースの技術を学び、高山の会社が新規事業としてコンピュータを導入する時に、外注の息子として社内外注職人として勤めて五年目となる。外の世界を知らない二世職人はすでにこの会社での地位を確立し、若さゆえに少々天狗の気を含んでいる。
 独身の鳥養にとって、今篤郎が社員として雇用される事で取り分が減る、つまりは収入にも影響が出るので両手で歓迎することは出来ない脅威でありながらも、当時不安要素の詰まったマッキントッシュのパソコン作業にコンピュータの知識に長けた篤郎は無二のパートナーとして認めていた。
鳥養の奥隣に座るトレース室最年長の二十七歳の阿部真治は、アニメ系専門学校を卒業後ゲーム会社のグラフィックデザイナーという経歴を持つ一番の腕前だが、一人で篭る習慣が付いているのかコミュニケーション能力に欠け自己中心的な面があり、この時も我関せずよろしく黙々とモニタに向かってペンを走らせていた。
 最奥の美術系専門学校卒の吉井佳苗は、唯一の女性外注職人というのを差し引いても控えめ過ぎる性格で一人黙ってモニタに向かっていた。阿部と違いコミュニケーション能力というよりは仕事の進捗能力に欠けており、何度教えても効率よりも精度を重視してトレースするものだから納期にいつもぎりぎりで、深夜まで半べそで残っている事も多々あり、今もおそらくは尻に火が付いているのだろう。
「うん、悪いようにはせんからって言葉自体が普段から悪いことやってるみたいやん。鳥養君どう思う? 僕がここに来ても大丈夫やろか?」
「うーん、今は正直仕事あんまりないから、四人常時フル稼働はちょっと無理あるかなー。でも仲瀬さん、家の事もあるから、はよ落ち着きたいですよね」
 鳥養は三重県から単身で京都府の片田舎亀岡市に赴き、ひょんな事から市内の女性の家族の家に居候しているせいか、次男特有の自己主張と相手への気遣いを併せ持っていた。
「そうなんよね、まぁ一回嫁と親父に相談してみるわ」
 篤朗はここでも明言は避け、作業に戻ることにした。

高山テキスタイル製作所 -面接(前編)-

 一年前の五月、勤めていた地元の北倉石油株会社の整備工場で暴力事件を起こし、しかし事件の経緯に落ち度はあれ情状酌量の余地は在りと会社側は最大限の考慮を図っての自主退社扱い、満額退職金という条件で篤朗は十年務めた会社を退社した。
 二児の幼児と三十年の住宅ローンを抱えて今年で三十二歳、定年まで勤めるはずの職を失い再就職までの繋ぎにと父、仲瀬景造が勤める高山テキスタイル製作所でアルバイトに通うことになった。
 景造は昔ながらの友禅職人で、筆を握らせたら京都の三羽烏の一人とまで言われたそうだが、これは高山テキスタイル製作所の社長、高山博康の口癖で実際その腕前がどこかで競われたという話は聞いたことが無い。
 時代と共に絵柄の描かれた図案の上にフィルムを重ねて直接筆を下すトレース作業から、図案をスキャンした画像をモニタに表示し、パソコンでフォトレタッチソフトのフォトショップを使ってトレースしたデータをフィルムに出力する技法に変わり、コンピュータ操作と絵心の人材を探しているという言うので、景造が不肖の息子を是非にと口添えしたものだった。
 元々趣味でコンピュータグラフィックに慣れ親しんできた篤朗にとって、デザイナーの高嶺の花と呼ばれる単価十万円を越えるフォトショップを個人で購入し扱い慣れた内の一つで、それをトレースに使用している事を聞くや二つ返事でその日の内に出社した。
 アルバイトという身分でありながら、短期間で他社員と変わらぬ収入を手にすることになる。


 アルバイトから正社員へ、篤朗がそれを考えない日は無かった。家庭とローンを抱えた篤朗にとって安定した収入と生活は渇望であったにも拘らずその一歩が出ないのは、この高山社長がワンマン経営で篤朗の幼い時期から父景造の愚痴を聞いて過ごしてきたからだ。弱みを握られたら最期、いつまでも頭の上がらない扱いを受ける等、他社員からも聞かされてきたのだからここに身を置くにも踏ん切りがつかない。
 篤朗が職探しをするわけでもなく、正社員で雇ってもらおうと頼むでもなく悶々とパソコンに向かいながらトレース作業をしていると、
「あっちゃん、ちょっとワシの部屋で話しよか」
 トレース室に入ってきた高山は満面の笑みでそう言うと先に一人で部屋を出ていくので、篤郎は慌てて立ち上がり隣でタブレットペンと格闘中の鳥養昌彦と顔を見合わせ、
「ついに来たね、ちょっと行ってくるわ」
と小声で言い捨て高山を追った。
 廊下を挟んで斜め向かいの部屋が高山の社長室であり、ソファに腰かけた高山は篤郎が部屋に入って来るのを認めるとテーブルを挟んだ向かい側のソファへ座るように促した。
 高山はすでに還暦を越えてはいたが、染色業界が最高潮の時期に会社を立ち上げ、景造を含む数人らで荒波を乗り越えてきた猛者としての貫禄をその体格が物語っている。肥沃な体形は長身もあってさらに凄みは増し、笑顔で刻まれた皺一つ一つには多くの悪事のあったことが見え隠れする。若い頃には黒塗りの日産センチュリーを乗り回しやくざ顔負けだったとどこまでが尾びれ背びれなのかとまことしやかに聞かされていた。
「あっちゃんとこのぼんは今いくつなんや?」
頬肉の下がった顔を寄せて高山が聞く。
「長男が二歳で、下の子はまだゼロ歳ですね」
軽く腰を落とした姿勢で篤郎が答える。

プロローグ

 ゴシック様式で造られた白亜の大聖堂チャペル・コンフィードで幾組の新郎新婦を見送って来ただろう。
 水曜日の正午きっかりに会社からの仕出し弁当を食べおわった仲瀬篤朗は、一人勝手口横の駐車場からその白い虚像を見るとも無く眺めていた。
 前職から畑違いのサービス業に転職して四ヶ月。仲瀬はさらに前の職場で接客業に従事していたので、片手でトレーを支えてワイングラスを給仕する以外には、特に苦としていない。むしろ過去に積み重ねてきた交通事故による腰痛がどんでん等の肉体労働の激務に悲鳴を上げ、このまま続けていけるのかという不安を日々抱えていた。
バブル景気の終焉間際、コンピュータ系専門学校卒業した篤郎は、アールシステム株式会社に入社しプログラム開発に携わっていたが、バブル崩壊とウインドウズと呼ばれる革命的なオペレーションシステムの導入の波に乗り遅れ、業務は一変悪化の一途を辿り将来を見据えて退職すると、学生時代にアルバイトをしていた地元の大手ガソリンスタンドに就職した。
 すでに過去となった数々の職場で得た、自信をもってアピールできるモノといえば接客サービス術くらいで、なんとかその経験を活かしてこの結婚式場ル・ソイルのバンケット部専属アウトソーシング、株式会社マンサービスクリエイションに入社する事が出来たものの、
「仲瀬君、私はここをもっとシティホテルのような格式持った接客応対にしていきたいんだよ。」
 先日支配人から呼び出されれると、前の披露宴で新婦の父親と談笑しているのを咎められ、言葉遣いや姿勢について改善するよう注意を受けた。家族のような親しみ接客がウリの篤郎にとって、この晴天の下、いつまでも心を曇らせているのである。
 週の中日は予約の入った結婚式も会議も無く、フロアの掃除や食器具などの掃除と次の予約に合せて在庫管理やスタッフの調整だけなので、今日のバンケット部の出勤は篤朗だけだ。
 バンケットとは大勢の客人を招く宴を意味し、結婚式場などでのバンケット部とは主に料理など給仕を含むホール全体のサービス事業の事で、披露宴の予定のない日は今日のように穏やかに過ごせるのである。
 携帯電話の呼び出し音にズボンのポケットから取り出すと、小さなディスプレーには前職で世話になった取引先の大賀の名前が表示されている。
「はい、大賀さん、お久しぶりですね」
 篤朗は前職の苦い思い出の中でも、和歌山の取引先の担当で唯一バイク乗りという括りの仲間として親しんでいた大賀を懐かしんで声を上げた。
「仲瀬くん、元気でやってる? 仕事はなんか就いてるんか?」
 大賀は誰に対しても気さくな口調で、この日も以前と変わらない軽い滑り出しで近況を聞いてきた。
「今は結婚式場で新郎新婦のエスコートやってますわ」
「そうなんか、もうコンピュータで絵描きの仕事はしとらんの?」
 原稿図案をモニターに映し、タブレットというパソコンの入力機器で映し出された絵を上からなぞって色別に絵を描く仕事をトレースといい、仲瀬の前職はトレース職人であったが傍から見る分には「絵描き」として括られている。仲瀬も周りから何の仕事と聞かれるたびに「絵描き」だよと答えるのが一番説明が簡単で理解してもらえるので拘りはない。
「あの仕事好きだったんですけどね、今の仕事が肉体労働なだけに未練はありますけど、戻る気はないですから……」
「仲瀬くん、トレースの出来る職人を紹介してくれって言うてる会社があるんやけど、もっぺんやってみぃへんか?」