ごーごごー、ごーちゃんでGo!

前職のトラウマを引きずりながらも畑違いの結婚式場の華やかな舞台を演出するため、古傷の腰痛を抱えた30台後半の主人公仲瀬は、昔の取引先の知人から職人への復職を持ちかけられる。
紹介してもらい入った会社は典型的な家族経営で父親が社長、常務に母親、そして専務は一人息子でマザコン、世間知らずで対人恐怖症、某障害の症状がすべて当てはまるようなその息子の名は豪。
豪に全てを振り回され、廃業まで追いやられた社員の信じられない日々を書き連ねたノンフィクション物語。
繰り返します。これはノンフィクションです。

高山テキスタイル株式会社編 -アポイント(前編)-

「あ、もしもし仲瀬と申します。豪さんは居られますでしょうか?」


 平成二十年二月某日前夜、関西地区は大雪に見舞われ、荘厳なチャペル・コンフィードと大階段を備えた結婚式場ル・ソイルも一面を銀世界に変えていた。この時期は結婚式は少なく、会場費が安く設定されるため発表会だの懇親会だのの予約が多く入る。煌びやかな披露宴会場は一転、シックで面白みに欠ける会場セッティングとなり、参列する参加者もビジネススーツばかりの連日に篤郎もうんざりであった。
 夕刻からの宴会ではあったが朝当番で出勤した篤郎は、会場セッティングや追加連絡の確認をフロント係と打ち合わせを済ませ、二階喫茶のコーヒーメーカーで淹れたコーヒー片手に、一息入れながら外の風景を眺めていた。喫茶は結婚式や会場の催し時にのみ開店させるので、普段は従業員の休憩所と化している。ガラス張りの喫茶から見下ろすと、フロントスタッフが雪かきに精を出していた。銀世界が見る見るずず黒く汚れていく様は儚く、出勤前に寝ている子供たちを叩き起こして、束の間の親子雪遊びを興じていた時間を思い出した。
 決して満足のいく収入ではなかったが、他では門前払いの三十六歳の中途入社を快く受け入れてくれた、株式会社マンサービス・クリエーション代表西原幸蔵には恩義を感じていた。ただ盆も正月も無く、日休祝日の意味すらないサービス業は、子供のほんのひと時の成長時期を知らずに過ごす事が、子供の目にどう映し出され大きくなった時の父親の思い出として何を残せるのかと、携帯電話に表示される今朝の子供の写真に勇気をもらう。
「向こうには、仲瀬君が亀岡で酷い目にあって辞めた事を言っ上で来て欲しいって事なんで、条件なんかもある程度は聞いてくれると思うから、心配せんと電話かけてやってくれるか」
 仲瀬に紹介の電話を入れた大賀は、豪が紀ノ川染工に図案を取りに来た際に紹介を頼まれ、豪の親族が経営する高山テキスタイル製作所で不遇を受けて辞めた仲瀬を紹介していた。豪は「製作所」の親族とは付き合いが無いから安心するよう伝えていた。
 大賀との電話のやり取りを思い出し、篤郎は決心すると、携帯電話のボタンを一気に押した。


 電話を受けた事務担当の松永豊美は、事前に篤郎から電話が入ったら自分に回すようにと、高山テキスタイル株式会社専務、高山豪は言付けていた。
「はい、ちょっと待ってくださいね」
 保留ボタンを押して内線十九番に掛けて、
「ごーちゃん、仲瀬さんからです」
 トレース室のビジネスフォンのスピーカーから豊美の声が響いた。
 猫背の姿勢でモニタを眺めていた豪は、作業中の手を止められた事による苛立ちから小さく舌打ちし、デスクに置かれたビジネスフォンの子機を取ると、
「はい、高山です」
 先ほどの舌打ちとは打って変わり、元気すぎるくらいの大声で電話に出た。
「こんにちは、大賀さんの紹介で電話させていただいた仲瀬です。今大丈夫でしょうか?」
 コーヒーを飲み終えた篤朗は子供の写真を収めると、喫茶カウンターの奥に篭り、先日大賀から教えてもらった高山テキスタイル株式会社へ電話をかけていた。
「はい、こちらはいつでも大丈夫ですよ」
 じっと座って電話のできない豪は、デスクを前に立ち上がるとそわそわと腰を振りながら調子よく答える。
「トレースの出来る人を探していると言う紹介で、検討してみたいのですが一度会社へ寄させていただいてよろしいですか?」
「もちろんです! もちろんです! 仲瀬さんの都合のいい日に来てもらったら、ああ、事前に電話入れてもらったら僕も居るようにします。」

-退職(後編)-

 社長室のドアをノックし、唸ったような小さな返事を確認してから中に入った。
「おはようございます」
 篤朗の挨拶の声に、想定外の人物が入ってきた事に顔を強張らせた高山だが、瞬時に平常に戻し机上の書類への書き込みを続けて始めた。篤朗は告発状と書いた封筒を高山の視線から少し外した位置に置くと
「ここへおいておきます。失礼します」
 と一切の会話をも拒否する態度を示し、踵を返して部屋を出た。
 階段を下りるとおそらく春日野が呼んだのだろう、高山の妻静代が手すりに手を掛けまさに社長室へ向かおうとしていた。
「仲瀬さん、なんであんな辞め方するん? 税務署行くって本当?」
 過去にも一度税務署の監査が入り数千万円の罰金を払っているたせいか、脅しとしては十分過ぎたのだろう。それでも心配なのは篤郎ではない、会社の事だけを慮る静子に苛立ち、
「あんな辞め方って、あんな経営者が何言うてんねん」
 と捨て台詞を吐いて会社を飛び出した。


 告発状を出して五日目の朝、景造から電話が掛かってきた。
「お前、税務署までホンマ言いに行ったんか?」
「なんでや?」
「会社がえらい騒いどる。あとお前、社長を訴えるんか?」
「場合による。慰謝料要求したさかい、満額出すなら棄却するけど?」
「そうか、わかった」


 午後、今度は悦子から電話が掛かってきた。
「あっちゃん、こんにちは。ちょっと来れる? 電話ではなんやし」
「いいよ、すぐ行くわ」


 篤朗が会社に到着すると、事務所には、山内、悦子、春日野、木下が待っていた。
 春日野が到着を伝えに高山を呼びに向かった。篤朗の告発状に書き連ねた稚拙な内容は、高山の専属会計士に相談すると、多くが却下されそうな内容ばかりで法廷で争っても問題なしという判断だったそうだ。しかし、取引先での過酷な作業の手伝いは、当時大手電化ショップに入ったメーカー委託の社員が店側から手伝いを強要した問題で大きく騒がれていたものと同様行為で、高山の会社ではなく取引先の豊橋が訴えられる事になると問題だと言う事で早急の手打ちに動いたという訳だ。
 それでも篤郎が裁判に出るというのなら、会社全体で受けて立つだけの覚悟がある意思を伝えたかったようだが、慰謝料さえ対応してくれるなら告発状を棄却すると告げると、張り詰めた空気は一気に解かれ、高山は声高々に慰謝料を提示してくれと丁重に申し出た。
 篤朗は慰謝料の金額を明示せず、高山から金額を言わせる事に成功し、最後の最後に想定通りの慰謝料を受け取ることで合意に至った。悦子が篤朗の帰り際に一番の気がかりを聞いてきた
「税務署にはほんまに行ったん?」
「社長が行けって言うたから会社出てすぐに行ったよ。でも証拠の写真は提示してない。今日の話が決裂したらもっていく予定だったけど、円満解決したんやから目の前で消去するわ」
 篤朗は携帯電話を取り出し、数々の証拠写真をみんなに見せながら一つずつ消去した。
「じゃ、就職活動せんならんので帰りますわ」
 もはやなんの未練もない。百数十万の慰謝料を勝ち取り、篤朗はその足で職安へと向かうのだ。


 後日談として、証拠写真のないまま、前科のある高山テキスタイル製作所に税務署が抜き打ち監査に現れたのは数日後。告発を舐めていた高山はなんら対策することなくすべてを暴かれ、五千数百万円を徴収されたと景造から耳にし、また景造も、あんたの息子のせいでと静子に酷く罵られ始めてから仕事に意欲を失い、数年後退職して今は年金生活を送っている。


 脱税騒動が落ち着き、いつものように畑いじりをしている景造の元に、帰宅するのに駐車場に歩いてきた鳥養が言った。
「息子さん、社長に拾ってもらったのに恩知らずですね」
「あんたらみたいに机の前に座ってて、待ってるだけで仕事もらえるような甘ちゃんに何が分かる」
 篤朗が父景造と働き、一番の理解者であった事を忘れる事はないだろう。

高山テキスタイル製作所 -退職(前編)-

 いつか辞めるだろう、またはクビになるかもしれない、その時のためにと各署の所在地は事前に覚えておいた。それが突如、今日、今から一時間も経っていない状況で篤郎は車を走らせていた。先ほどまでの動悸はようやく治まり、悔し涙の痕が目元の肌を引っ張っていた。
 自分から辞めたのなら納得も行く、しかし前職同様事実上のクビである。
 前職の暴力事件も、我が物顔で整備工場の事務所に入ってきたチンピラ風情の常連客が無断で電話機を取り、どこかへ電話を掛け始めた。昼食中であった篤郎と同僚の二名で何事かと黙ってみていると、どうやら口悪く罵る会話がどこかへクレーム交渉をしているらしい。武勇如く見せつけるその様は無様で、事務所の電話を無断で使うなと窘めた。その口調が悪かったのは篤郎の落ち度であるが、窘められた事を腹いせに受話器を離すや座席の篤郎に殴りかかってきたのである。五十幾つの男とは言え軽くあしらうには無理があり、頭を片腕で抱え込みそのまま腰を折って尻もちを付かせて取り押さえたのだが、後日痛くもない頸椎捻挫を訴え篤郎を免職させないと会社を訴えると言ってきたのだ。
 なんでよくしようとした結果がこの始末なんだと、悔やんでも悔やみきれないが、今度は違う。篤郎は被害者だ。訴える権利は自分にあると強く信じ、初めての国の機関へ堂々と足を踏み入れた。
 篤朗は請求書を改ざんし在籍していない社員家族への架空給料支払いの件、韓国への架空発注の件などを園部税務署に報告すると、さらに車を走らせ、次は超過残業や雇用条件の反故などを園部労働基準監督署に報告した。
 真っすぐに自宅に戻ると書斎のパソコンを立ち上げ労働法違反、不当解雇、裁判、告発状などをキーワードにインターネットで調べて回った。
 昼過ぎに突如帰宅した篤朗にびっくりした孝子は書斎に来るとそっと訊ねる。
「会社どうしたん?」
「ついに辞めてきたわ。でも、まあ、なんとかするし」
 モニタから目を離さず答える背中に、今近寄っては危険と察した孝子は、わかったと答えると、
「なんか冷たいもんでも持ってこよっか?」
「うん、冷えた炭酸とか欲しいな」
「はーい」
 と言って早々に階下へ退散した。
 インターネットで告発状の書き方を調べると、すぐさまタイピングを始め書類を作成し始めた。何度も読み返し、調べ直してより効果的な文句を見つけてはすぐさま取り入れ、また読み返す。深夜に及んで出来上がった告発状は翌朝もう一度読み直し、感傷的な文になっていないことを確かめてから封筒に入れた。
 いつもの出勤時間から少し遅れて会社に顔を出した篤朗に、最初に遭遇した春日野が後ろめたさもあるのだろう、
「あっちゃん、おはよう。社長?」
 気遣って聞いてくる。
 篤朗が黙って頷くと指で上を指し、工場二階の社長室に高山がいる事を教えてくれた。結局この男も篤郎の給料を妬み、不満告げ口を吐いていたかと思うと口を利く気にはなれない。無言で二階へと向かった。