ごーごごー、ごーちゃんでGo!

前職のトラウマを引きずりながらも畑違いの結婚式場の華やかな舞台を演出するため、古傷の腰痛を抱えた30台後半の主人公仲瀬は、昔の取引先の知人から職人への復職を持ちかけられる。
紹介してもらい入った会社は典型的な家族経営で父親が社長、常務に母親、そして専務は一人息子でマザコン、世間知らずで対人恐怖症、某障害の症状がすべて当てはまるようなその息子の名は豪。
豪に全てを振り回され、廃業まで追いやられた社員の信じられない日々を書き連ねたノンフィクション物語。
繰り返します。これはノンフィクションです。

高山テキスタイル製作所 -就業(前編)-

 篤郎が高山テキスタイル製作所に勤めて五年目の夏、思い描いていた未来は訪れることなく、日々ストレスと気怠さが鬱積するばかりで、トラック運送の運転にも影響が表れていた。
 亀岡市から取引先の大阪の泉佐野にある豊橋染工場までの道のりに高速道路を利用するが、関西で最も事故の多発な阪神高速の往復路途中で重い睡魔に毎度襲われていた。途中の走行記憶が無くなり、気がつけば隣レーンまで蛇行運転、高速道路上で30キロ程の速度でのノロノロ運転を繰り返していた。数年前までは和歌山市内までもう一件の取引先があり、より遠くまで走っていた時に比べ楽になったにも関わらずである。
 原因は、その和歌山の取引先が不景気によって廃業し、仕事量が半減した事からトレースの一人当たりの配分量も減り、週の数日、しかも日に数時間しか作業時間を与えられていない篤郎に配られる図案は、納期の十分にある手の掛かる仕事ばかりとなった。
 当初にいた佳苗は篤朗が入社した数日後に、高山から納期に遅れる事が多いからという理由でその月に仕上げた柄のすべての単価を一律三十パーセント下げられ、理不尽に耐えかねて涙乍ら退職した。人数調整は高山の暴挙で成され、現在トレース職人は鳥養と阿部、そして三重県の鳥養の父親だけとなっていた。篤郎は補欠に過ぎない状態であった。
簡単で短納期の仕事を従来の外注に分配され、朝から夕方まで現場仕事をさせられた篤郎は、夕刻から深夜にかけてペンを走らせることになる。仕上がれば配当金は大きいが、仕上げる時間数や深夜残業続きでは採算が合わない。
 高山にこれまでに再三、一日トレース業務についている人に納期のある仕事を、作業時間の少ない自分に納期は短いが簡単な仕事を、と嘆願するも
「作業時間が少ないのに短納期が仕上げられるか。何度か渡してもお前ミスするやないかい!」
「手の込んだ柄を深夜までやってても納期ギリギリなんですよ? ミスって言いますが、僕に見直す時間さえあると思います?」
 入社当時は「悪いようにはせん」の効果はあった。しかしそれは束の間の事で、何かに理由をつけてトレース業務から現場に重点させるよう仕向けてきたのだ。さらに外注には配当金の請求に満額を支払うが、現場の平均収入を超える篤郎の手取り額を調整すべく、請求額を数か月に分けて支払う事もあった。
 収入は減り、残業と言ってもトレース業務は外注扱いになるため深夜零時を回ることがあっても手当ては付かず、挙句に納期に追われてのミスを生み出す悪循環に苛まれる一方。
 取引先においては製版枠を納品した際、現場が忙しいとそのまま手伝わされる悪しき慣習に遭い、往復三時間少しの距離を正午に会社を出て、帰路はどっぷり日が沈んだ夜更けになることもしばしばあった。それを高山に申告すると、山内と一緒になって
「取引先には逆らったらあかん」
 の一点張りだった。
 何もかもにも疲れ、寝てもうなされる状態でまともな睡眠が取れているはずもなく、そしていつ大事故を起こすとも限らないトラック運転の居眠り運転は休日のドライブにも影響を及ぼし、幾度となく助手席に座る長男が寝入りそうなのを阻止するという笑えない命がけな遊びを繰り返した。

-採用(後編)-

「全部覚えてもらおうとは思とらんで。」
 高山は篤朗の不安を察し、先手を打つ。
「あっちゃんには山内君と交代で週二回トラックで配達に行ってもらいたいんと、納品先で修繕とかもあるさかい穴埋めとかテッポウ(樹脂を塗った型に小さなピンホールと呼ばれる穴や、余分に付いた樹脂を削るため生地の染み抜きに使う圧力噴射機)を覚えてももらうんに現場の補助員としてやってくれるだけでいいんや。」
「トレースの仕事は……」
「配達以外の日にやってくれたらええ。ずっと一日現場にいるんとちゃうで! そやさかい、鳥養君らみたいに外注と違ってあっちゃんは正社員として毎月25万円の固定給と外注としてトレースをやった分の二重方式で給料を支払うしボーナスも当然出す。どうや、悪い条件ちゃうやろ。」
 語尾の強くなる高山に違和感を感じた篤朗ではあったが、考え方によっては固定給が約束された雇用形態の方が安定しているかも知れない。外注は仕事の量がそのまま収入に反映するため、家の長期ローン返済には安定が一番であると考えた。
「わかりました。それだけのいい条件を揃えていただいて有難うございます。親父と共にお世話になりますけど、宜しくお願いします。」
 高山とは景造と共に家族ぐるみの長い付き合いではあったが、ここはけじめをつけて三十度の礼をした。
「ん、現場の詳しい事は山内君と斎藤さんに聞いてくれ。ほな、しっかり頼むわな」
 篤朗は部屋を出る時にもう一度礼をし、現場に向かう途中で景造に呼び止められた。親心で結果に心配の様子であったが、正社員として迎えられた事を伝えると満身の笑みで
「よかったな、よかったな」
と喜んだ。息子の採用が決まった事に重ね、普段接する機会の少ない男親と息子が同じ職場で働ける事が何より嬉しかったのであろう。


 収入面を全面的に認めて入社を決めた篤朗をよそに、高山には一つの計画があった。高山には前妻との間にもうけた長女の増美とは妻との離婚を理由に縁離れし、後妻との間でもうけた長男の豊とは絶縁していた。
跡取り息子として育て、現場の仕事から営業、トラック配達までこなす豊であったが、二世特有の派手な金遣いと女遊び、そして趣味で買った三菱のラン・エボで配達で走る大阪の峠を夜な夜な走り攻め、とうとう反対車線の車を巻き込む大事故で半身不随を負い、それまでに蓄積された怒りもあっての勘当を言い渡してしまったのだ。
 社内で働く跡継ぎと称される山内成司は篤朗と同い年で、高山が趣味で出かける釣り民宿の女将との間にもうけた子であり、高校を卒業すると同時に養子ではなく会社の跡取りとして呼び寄せたのである。すでに結婚し子供にも恵まれ、家のローンは会社が代理返済してくれる厚遇を受けていた。そんな山内も二世同様世間を知らずに勤めてきたため営業力に乏しく、交渉というよりは全面降伏で受注してくる不甲斐なさに憂いていた所へ、他業種経験者で口の達者な篤朗である。
 高山の目論見は共同経営としてトップに山内、営業に篤朗と、もう一人技師の春日野という構図を描いていた。

高山テキスタイル製作所 -採用(前編)-

 三十二歳という年齢は就職活動をするに当たって微妙な年齢で、多くの企業の年齢条件が三十五歳までと区切られている。さらにコンピュータ系専門学校卒の篤朗は特に何のスキルも無く、十年勤務で培ったのは接客応対と商品知識の記憶術、本社が舞鶴市内にあることからか舞鶴弁を地元民でも間違うほどにマスターした事だけ、である。
 ハローワークからの募集で「ホームヘルパー2級」の研修にも参加し、ついでで独学した「住環境コーディネータ二級」の資格も当初は合格率三十パーセント以下(平成十四年現在)にもあっさり合格するも、それを役立てる環境はあるものの給料面に恵まれず、好調期には手取り五十万円を越えるトレース業は景造や妻の孝子に相談する前から心は決まっていた。
「高山テキスタイル製作所って株式会社と違うん? 前に新聞折込の求人広告に載ってたのと違うの?」
 孝子は篤朗の相談にふと気になった事を聞いてみた。
「あー高山テキスタイル株式会社やろ、知ってる。社長の弟さんも同業の会社やってるみたいやけど、パートさんがしょっちゅう辞めてるみたいやで。なんか問題があるんやろ」
 実は同じ事を事務員の斎藤悦子に聞いて、まったく同じ回答文句を教えてくれていたのだ。悦子は高山テキスタイル製作所が亀岡市に移転してまもなく入社した、今では影の経営者である。ワンマン経営の高山の会社がブレも少なく経営が成り立っているのは悦子の縁の下の力に他ならない。
「ふーん」
 特に興味のあるでもなく、「株式会社」の話はここでは消えるのだが、今後の篤朗を狂わせるこの存在は、すでにこの時からしっかりと根付いていたのである。


 数日後、社長室で向かい合った高山が出した条件は、篤朗の想定外だった。
「あっちゃんには将来この会社を担う一人として育てたいから、現場の仕事も覚えて欲しいのや」
 単純に鳥養らと同様内部外注として雇用してもらう算段で乗り込んだ篤郎が、高山の術中にはまっている事に気付くはずもなく、海千山千の老兵は言葉巧みに懐に飛び込んだ。
「現場の、仕事もですか?」
 現場の仕事場に回されるとなると仕事内容だけでなく、収入面にも不安がよぎる。それほどに内部外注のトレース職は美味しいからだ。
 テキスタイル製造業の業務は大きく二つに分かれ、一つが篤朗が望む綺麗なコンピュータルームでパソコンに向かって絵を描きそれを色別に版分けする。版分けされた白黒データをフィルムに出力し、現場と呼ばれる薄暗い工場に回される。工場では家の襖くらいの大きさのアルミ枠に網の目よりも細かな紗を張る。そこへ感光膜を塗りパソコンで出力されたフィルムを当てて焼き込み光を当てる。それを水で流すとフィルムで白の部分の紗の目が塞がれ、最後の工程で樹脂を塗って感光膜の強度を保たせると完成だ。
 この型に染料を流し込みヘラでばすと紗の穴の開いたところから染料が染み出し、型の下に敷かれた生地に色が染まる。この一連の作業をシルクスクリーン技法と呼び高山の会社では型を製造するまでを行っている。
 華やかな業務に思えるが、実際の現場は紗を張る専用の接着剤や真っ黒な有機溶剤の樹脂によるシンナー臭が工場一杯に広がり、感光膜は服につくと取ることの出来ない禍々しいほど黄緑色でカメラのフィルムを強烈にしたような異臭を放つ。アルミ枠は持ち運びの際に床を滑らせるため、コンクリート地が剥げて埃まみれで、樹脂や接着剤の垂れた後が床一面に蔓延っている。
 換気のために窓を開けているため、夏は暑く冬は極寒な環境に比べ、トレース室はコンピュータ管理のために常時エアコンで空調が管理され天国と地獄の差を感じずには居られない。
 おまけに春先はありがたい事にツバメが工場内のあちこちに巣を作るから、糞と土、時々雛が床に落ちてくるのでここは丁重に断りたいところである。