ごーごごー、ごーちゃんでGo!

前職のトラウマを引きずりながらも畑違いの結婚式場の華やかな舞台を演出するため、古傷の腰痛を抱えた30台後半の主人公仲瀬は、昔の取引先の知人から職人への復職を持ちかけられる。
紹介してもらい入った会社は典型的な家族経営で父親が社長、常務に母親、そして専務は一人息子でマザコン、世間知らずで対人恐怖症、某障害の症状がすべて当てはまるようなその息子の名は豪。
豪に全てを振り回され、廃業まで追いやられた社員の信じられない日々を書き連ねたノンフィクション物語。
繰り返します。これはノンフィクションです。

-告発(後編)-

昼食室は工場入り口のすぐ横にあり、篤朗が景造を連れて入ると高山が先に折りたたみ椅子に座り、面接時と同じように対面に座れと促した。全員が席に着くと、高山が開口一番、
「あっちゃん、あんまり社内をかき回すなよ、みんな困っとるど」
 先ほどの怒気を隠すかのように高山は昏く笑って余裕を見せつける。
「みんなて誰です?」
 みたびその笑みに騙されるものかと、篤郎はその目を見据えて言った。
「みんな言うたらみんなや。しょーもないこと聞いとんな! 豊橋さんとこでもあっちゃんの事言われとんのや。」
 薄っぺらい仮面はあっさり剥がれ、朝一番の憤怒の表情が剥き出しになった。
「どんなことです? 僕がなにか迷惑でもかけましたか? むしろ豊橋さんに迷惑かけられてるのは僕の方ですわ」
 売り言葉に、買い言葉で話の核心に触れるまでに、すでにお互いが反発しあうので話し合いにはならない雰囲気が出来上がる。景造は沈黙だ。
「鳥養君らはあっちゃんがいらんことチクリよるって文句言うてきとるし、下のモンは仕事中にトレース室に行ってサボりよる。それでいて給料ようけもらってるって言うとるんや」
 腹わたが煮えくり返るという表現がこれほど今を表せる言葉は無いと、鼓動は激しく打ち血は逆流するかのように、篤朗は感情が高ぶると涙腺が緩む。血の涙が溢れそうになるのを努めて抑えて
「社長、入社時言いましたよね? 僕はトレースがしたいって。現場の仕事はトラック配達するために全体を覚えるために少し入ってくれるだけでいいって。でも実際どうですか? 仕事は回してくれない。焼き付けを覚えろ、紗張りを覚えろ、取引先で遅くまで手伝え。そんなんでトレースする時間ありますか? 僕が深夜まで残っているのも知ってはるでしょ」
「あんたがミスせんかったら何ぼでもまわしたるわいな!」
「確かにミスは多いです。夜中の二時や三時までやって、翌日はトラックで配達ですわ。他と一緒にするには無茶や思いません?」
「あっちゃん、わしはお前には現場中心にやって、いつか山内君の補佐になって欲しいんや」
「収入もなにもかもめちゃめちゃやないですか。そんな話やったら最初からここ来てませんわ!」
 すべては瓦解し、最高潮に達した感情を抑える術はなく、篤郎は声を荒らげて怒鳴った。
「だったら今すぐ辞めてまえ。焼付けを覚える気がないんやったらやめてまえ!」
 これまでワンマン経営で皆から「大将」と呼ばれていた高山、大将とはお山の大将を意味するのだが、事実弱みを握った社員ばかりを囲っているので誰も面と向かって反旗を翻す者はいなかった。これまでにいたかも知れないが、それは同じように辞めさせられていたのであろう。高山の本性が剥き出しとなって篤朗を威圧する。
 こうなれば篤朗を重圧している家庭の責務など人権の前には塵にもならない。人としての権利。自我を押し殺して生きて行くことに何の意味があろうか。
「社長、辞めろ言わはるんでしたら辞めますわ。会社都合による解雇やで、ちゃんと手続きして下さいね。あと僕はこのまま税務署と労働局行ってきます。あんたのやってきたこと皆話してきますから覚悟しとって下さいね」
 篤朗にとっての切り札は、以前からいつかこんな日が来るものと前もって社長室を探り、二重帳簿などの証拠を携帯カメラに収めていたのだ。処遇を改善してくれたらという最期の願いであったが
「どこでも好きに行け。今すぐ辞めて出て行け!」
 高山の怒りは収まらず、ガバッと席を立つとまっすぐ会社横の自宅へと去って行った。
 ぽつんと終始一言も発せられぬまま呆然としていた景造に、篤朗は笑顔で
「そういうことだから、おかんに上手く言っといて。心配はせんとってって。ほな早速税務署行ってくるわ」
 そう言い残して篤朗は駐車場に止めたマイカーに乗ると、行き先は二件、園部税務署と園部労働基準監督署へ向かった。

高山テキスタイル製作所 -告発(前編)-

 一夜明けて、篤朗はいつもと同じように出勤して挨拶して回るが皆がよそよそしい。朝の仕事内容の確認に事務所に顔を出すと、いつもは明るく挨拶する悦子までが避けたような態度を示した。
「斎藤さん、おはようございます!」
「あ、あっちゃん、おはようさん」
「なんかあったんですか? みんな暗くないですか?」
「あっちゃん、来たか?」
 そこへ工場の奥の裏口から図太い高山の声が響いくる。入り口近くで紗張りをしている五十二歳の木下が対応していた。
「事務所にいてますわ」
「あっちゃん!」
 老体の足を引きづるように、しかし力強く真っすぐに事務所へと向かってくる。
 事務所に顔を出した高山の顔はすっかり紅潮しており怒気まで孕んでいた。悦子はとばっちりを受けては大変とばかりに事務仕事に顔を逸らせた。
 刹那、篤朗は昨日、春日野はトレース室の外注が多額の収入を得ている事に腹を立て、悦子に報告すると言っていた。おそらくそれが原因だろう。しかし篤朗にとっても入社時に聞いた待遇面はもはや禁止事項にまでされて、トレースをする時間さえ自由に与えられていなかった。収入も上がらず疲労ばかりが蓄積し、言い分はこちらにありとばかりに急に頭に血が上り始める。
「おはようございます」
 挨拶はするも、その声は低い。
「いいから、おやっさん呼んで昼食室来い!」
 なぜ親父を? と思いながらもこれは決別を覚悟した。これまでにも幾度となく高山とは衝突しており、何度も辞めようとも思った。それでも家のローンがある、家庭がある、一人身勝手に行動するには荷が重く圧し掛かる。頭を振っては辞める考えを打ち消してきた。しかし、これまでか?
 外の駐車場横の自家畑を世話していた景造を呼ぶと、景造の耳にもすでに話は通っていたらしく、
「篤朗、お前覚悟決めならんぞ。ワシも話はしたるさけ」
 と頼もしく言ってくれるが当てにはならない。もっとも、ここで頼りになるくらいなら景造は高山の右腕になっていなければならない経歴年数を勤めていた。高山に何度も助けられ、多分に漏れず弱みを握られた者の一人であったからだろう、高山に逆らった親父の姿を篤郎は見たことがなかった。

-就業(後編)-

 社内では篤郎が入社する前からトレース職人と現場職人との間に埋まる事のない深い溝があり、それは業界の急成長時代の経営者が時代についてこれてないのが主な原因である。
 染工業界が好景気の時代、仕事の受注は黙っていても飛び込んでくる程で、断っても納期はいいからとりあえず受けてくれ、と常に図案が手付かずで山積みにされていた。テキスタイル事業は一気に急成長し、多くの参入企業が名乗り出るほどで京都には多くの染工場が点在した。
 そうすると今度は技術職のトレース職人が引く手あまたとなり、優秀な職人は常に引き抜き合戦でより高額な条件で自社に留めようと争った。
 経営者にとっては優秀なトレース職人こそ会社の要であると主張するが、現場に言わせるとそれを製版して納品できる状態にするのは自分たちだと主張する。「ニワトリが先か、タマゴが先か」の言い合いである。
 トレース職と肉体労働で汗水たらす現場職を唯一掛け持ちで働く篤郎は、誰よりも両社の言い分を理解できていた。しかしそれ以上に、辛いトラック運送で取引先でこき使われながら手にした図案を、鳥養たちにだけ分配されて手元にはゼロを何度も経験し、それを鳥養らは当たり前のように振る舞う。
 トレース職人を恨んでいた。趣味を活かし望んで入社を決めたトレースの仕事を憎んだ。トレース職人の配当金は、現場に比べて高すぎると!


 現場でフィルムの焼き付けをする春日野雅也は、山内と同郷の福井出身で高校卒業時に一緒に入社したが、山内の厚遇の秘密を知っているだけに、自分の立場に常に愚痴を吐いていた。
 焼き付けの技術職人としての腕前は、この会社で担当している三人の中でもダントツであったが、作業のこだわりは昔気質に繊細で効率度外視のため人の半分の作業も出来ない始末であり、また他人のゴシップに目がなく、常に誰かの悪態をついてないと治まらなかったので誰からも敬遠されていた。
「まーやん(雅也)はあんまり相手にせんときや。話だしたら作業の手を止めるから仕事にならん」
 ほかの従業員は忙しい日は特に春日野を相手にしないよう気を付けていた。
 篤郎は幅広く話題のジャンルを揃えていたのと、現場の持ち場を持っておらずフリーということもあり、マニアックな春日野にとっては絶好の話し相手として、この日も焼き付け部屋でいつもの他愛もない話で過ごしていた。
「あっちゃん、上の連中ってどれくらい給料もろとんの?」
 夏のボーナスが思った以上に少なく、給料の話の流れて春日野が尋ねた。
 高山はこれまで何度も外注の請求書を元に、複数の架空請求書を作成して篤朗に清書させていたので、鳥養、阿部の毎月の収入を把握していた。この時にはすでに高山に反発し、悪事に手を貸すほど従順ではなかったが、仕事の上がり量でおよその金額は分かるので、
「だいたい五十万ほどやろ」と軽く答える。もうトレース職人に配慮はない。
「あいつらそんなもろとるん!?」
「ちょっと前は八十万ほどもろとったで」
「あっちゃんもそれくらいもろとるん?」
「現場就かされて休憩時間すら上に行かせてもらえんのにどうやって稼ぐねん」
「それだけ受注量増えたら俺らの作業も増えるんわかるやろ、それやのになんで給料固定やねん」
「阿部ちん、俺らがやらな現場の仕事なくなるやろって言うとったで。鳥養君なんかは、仕事無い月は収入ガクッと下がるから安定してないし、現場はボーナスもらてるからいいやんって。ぶっちゃけ、俺らの給料下回る月なんて見たことないけどな」
「一回斎藤のばばぁに言うたるわ。あほらしくてやってられるか!」
 会話はそこで終わり春日野は焼き付けに戻り、篤郎は現場でする仕事もなく手持ち無沙汰になったので、現場の目もないことから納期の迫った柄を心配しトレース室に向かって行った。